京都大学の森先生といっても若い方はご存じないと思う。30年以上前のことなので。森先生は当時、京都大学の数学の先生でTVなどで活躍されていた数学の先生であった。結構、面白いことをいう人だなと思っていた。受験数学の採点者というよりは京都大学の数学の入学試験の採点のところの話が気に なってほこりをかぶった本箱から取り出して読んでみた。

京都大学の数学はずっと昔から理系は6題で150分のようだ。最近はいくらかやさしいよう。この本は30年以上前に書かれた本なので現在もそうなのかわからないが、おおまかなところはそれほど変わっていないのではないかと思う。

理系問題は6題で時間、150分なので1題25分となるがこの大学の問題は記述量が多くまた計算量も多いので式変形での転記ミスや計算ミスも多いようだ。ここで作問される「良い問題」とは解き方がわかっている問題ではなく解き方がわからない問題らしい。受験生の立場になると一定の時間である程度の量を書きあげなければならないとなればこれほど「酷」なことはないと思う。問題は記述量が多くまた計算量も多い問題もあるので採点では逆に採点が厳格な判断で行われない。200点満点の答案だと10点前後の誤差はあるらしい。これには受験生も驚くと思う。10点前後となると上下20点にもなる。こうなると答案はできるだけきれいに見やすくすること。採点する側だって汚く見にくい字、そろっていない字は見るだけで嫌だと思う。感覚で採点する場合だってあるよう。こうなると現代国語なんかは全く出題者、採点者の感覚で正解が作られ採点が実行されているのかもしれない。18歳ぐらいで人間の愛憎や喜怒哀楽がわかるのか疑問だと思う。よしんば理解できても文章から受ける感覚を自分の言葉で表現できるだろうか。特に再読して思ったのは答案は文章、手紙だということ。数式は単なる記号ではなく説明のための表現ということ。この本を読んで思ったのは教科書の重要性である。多くの受験生が使ていると思われるチャ-トは略解になっているところも多く。文字を上げても文字の定義がされていないところもある。解答で問題文にない文字を定義したらそれは何なのか定義しないといけない。教科書はそのあたり必要十分で無駄がない。受験参考書は大くの人が「これがいい」とネットで言っているが教科書の重要性はほとんど誰も言わない。1問30点から35点となると大まかには10点刻みだが答案を構成するうえでは実際に書いていくと分量から10点刻みにならないことが多い。実際には問題に与えられている記号、式、意味、それらを使って何をしろと言っているのかがわからないと答案を書くことができない。受験生が6割程度できることが目標らしい。6題で6割となると4題がその範囲である。したがって易しいのが2題、問題文を読めば類題でああ、あれかと思う問題そして、ちょっと難、これは問題の意味の理解に手間取る、解答が数種類ある、計算が多く時間がかかる問題、最後の難しい問題で問題文章が長く題意を理解するのに時間がかかり一読しただけでは何をするのかがわからないような問題となる。こうなるとわかりきっていることや過去問と同一の問題なんて出せないし難問なんかも6題のうち2題以上は出せない。当に易2題、ちょっと難2題、難2題となる。当に易2題、ちょっと難2題を集中的にやればいいことになる。そして余裕があれば後の難2題に当たればいいことである。これで7割取れれば数学に関してはどこでも大丈夫ではと思う。こうなると敵を知ること以外にない。何十年も150分、6題で1問あたり30分前後、受験で志望大学を特定しているのであれば 、このような傾向を過去何十年もやっているとなるとこの過去問を中心にやるしかないのではと思う。

 

 

投稿者 7587_ahtyu

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