尿管結石になり救急車で運ばれる

朝の4時ごろ急に背中の右のほうが痛くなりどうしても収まらなくなり吐き気がするし眠ることができなくなった。とうとう息苦しくなりそのうち、のたうち回るような有様になった。これはどうしようもなく救急車を呼んでもらい自分のために呼んでもらった救急車に初めて乗った。救急車に乗るのは初めてだったがのる時間にはかなり痛みは治まっていた。20分ぐらいで近くの病院について診察、痛いところはないかと聞かれたが別に痛いところはもうその時点ではなかった。CTをとって血液検査をしてしばらく待っていると思った通り尿管結石だった。CTの画像から右側の尿管に4ミリ程度の結石が詰まっているようだ。結石が白くはっきり映っている。これは腎臓でできた結石が尿管に詰まってあふれた尿のため腎臓が炎症を起こす病気である。午前中にまた診察を受けるようにと言われた。再度、午前中に言われた通り診察を受けると今度はレントゲンをうけてくれという。レントゲンをみてまだ石はおりていないという。手術をするかと聞かれた。どんな手術かというと尿道から挿入してレ-ザ-で石を砕くという。これは痛そう。痛くないかと聞くと「全身麻酔をするので」という。そんなのは嫌だと思い出るのをまつというと薬をくれた。これは結石を溶かすのではなく尿の出をよくする薬らしい。

納屋の雨漏り補修

台風が近づいていることもあって前から気になっていた雨漏りの補修をすることにした。この納屋ももう30年以上になるのであちこちにひび割れがいっている。どうもそこから雨漏りがしているようなので放置しておくとますます雨漏りがひどくなっていっているよう。台風が近いこともあり早速ホ-ムセンタ-で補修材を購入して作業を始める。外側は白色の自動車修理に使うようなパテのような補修材でヒビを埋めていく。雨漏りの原因はここではないかもしれないがと思うが可能性のある所はやってみるしかない。雨漏りはすぐ近くのところで発生しているのではなく考えつかないようなとんでもないところから発生していることが多いようだがよくわからないのでとにかく可能性のあるようなところからやってみることにした。外側は白色の補修材で補修。内側は速乾のセメントで補修した。外側は平面で簡単にひび割れ補修ができるが納屋の中の内側は天井なのでセメントがボタボタ落ちてきてやりにくい。何とか暑い中やってみた。

 

今年の夏は異常に暑い

8月も終わりなのに今年の夏は異常に暑い。自分の経験だとこのように暑い日が続くのは経験したことがない。38度程度の気温が何日も続くような夏は経験したことがない。8月の最初から畑の草取りなんかの農作業、そして稲刈りといろいろあって日中に数時間、屋外で作業していたら体が参ってしまった。気分が悪くなるような日が何日か続き階段を登るときでさえフラフラするような感じがあった。これがよく言われている熱中症なのかと後で気が付いた。最初はそれがわからず”運動不足”かと思い夕方に7キロほどランニングを試みたがかえって昼間は身体が動かなくなった。当然のことである。ここしばらく1週間ほど寝込んでしまうような日が続いた。もう若くないのだから仕方がないかとあきらめていたけどそうはいかない。しなければいけないことはたくさんありすぎるのである。年齢がいくと自分が疲れているのかそうでないのかが感覚が鈍くなるようだ。80歳を超えているような人になると暑さの感覚がなくなるような人がいるという。自分はそこまでの年齢ではないがそれに近いような感覚になっていたのだろう。ク-ラ-をつければいいのだろうがク-ラ-の感覚はお年寄りにはかえって違和感があるのではないだろうかと思う。それでク-ラ-の風が嫌いな人もいるようだ。これは若い人にはわかりにくいかもしれない。

今年は台風が少ないようだがこういう年はその年の後半に多いかもしれない。そんな台風は大型の場合が多い。自分が子供のころはそうだった。

雨が降らないので田んぼに水を入れる

このところ全く雨が降らない。稲刈りのあと田んぼが乾いてしまって田んぼがカチカチになっている。これではトラクタ-で田んぼをひくのは大変。そこで田んぼに水を入れることにした。こうすると田んぼが引きやすい。しかしあまり水を入れすぎると今度は土がぬかるんでトラクタ-が沼に入っていくようになるので少々加減が必要である。しかし今年は例年になく暑い。

猛烈な暑さ

ここ2、3日は猛烈な暑さが続いている。この地方では日中は38度から39度以上の暑さが続いている。自分の経験したことがないような暑さでである。外に出て太陽の光を受けると体が痛い。午前中は何とか扇風機で過ごせるような感じがしていたがここ2,3日はさすがにク-ラ-をつけないと凌げない暑さになっている。道路のアスファルトやコンクリ-トの焼けるようなにおいを感じる。こんな田舎でそうなのだから都会の土のないところでは大変な暑さだろうと思う。直近の日本の地域の天気予報でもその温度は軒並み38度を超えているところがほとんどになっている。ところが香港や台湾では気温は31度程度であるらしい。これはどういうことなのなのだろう。何かが変わっているいるのだろうか。日本の気温は毎年のように上昇しているような気がする。日本の気温が地域によるが40度を超えたのを初めて見たように思う。

すだちを収穫

最近の暑さはどうだろうか?こんな田舎でもものすごく暑く感じる。1時間も外で作業すると体が焼けるように熱くなる。この地方では今が稲刈りの最盛期になっている。暑さの内容が自分の子供のころとはずいぶん違うようだ。こんな中で外で仕事をする人は本当に大変だろうと思う。暑い日の外で仕事をした後はビ-ルを飲んでいたがどうも自分には酒は合わないらしい。かえって翌朝には体調がよくない。昨日もあまりにも畑の進入路に草が生えていたんで草刈りをしたらたった1時間程度の草刈りで暑さでバテてしまった。体調が悪いのか暑さのせいなのかわからない。マスクをしたら数分でマスクが自分の息で水にぬらしたようになってしまう。太陽の光を背に草刈りをやっていると背中が焼けるように暑い。年々暑さが違うように暑くなっていくように感じる。畑の草刈りのあと田んぼの畔をこれもまた草刈りたったこれだけで汗びっしょりになってしまった。

この地域ではこれからが稲刈りのシ-ズンになっている。ほとんどの人が離農して一部の人が水田を作っているような状況。時代は変わっているのだと思う。今日は8月15日の終戦記念日。といっても戦後生まれの自分には戦争が何であったか知らない。300万人の命が失われた戦争がどういうものであったか具体的に知らない時代に生まれた。今日の朝刊お世話になった方の記事が掲載されていた。この方ももう96歳になられれる。ご苦労されたことだったと思う。人の寿命や人生はある程度の方向や過程は決まっているのだろうかと思ってしまう。記事を読んでいて自分は平和な時代に生まれたのだとつくづく思ってしまった。

 

稲刈り

今年もまた暑い稲刈りがやってきた。この地方では4月の上旬に田植えをする。その前に3月の中頃から準備。まず田んぼをトラクタ-で耕していく。これはもっとも昨年のコメを収穫した後、何回か冬の厳寒期を除いて耕している。田植え前にもう一度丁寧に耕して、水を入れて田んぼを調整する。こうしないと田んぼの高低差の調整をしないと稲を刈り取るときに水が溜まって水がはけないからである。水がはけないとコンバインが田んぼににじりこんでコンバインのキャタピラが回転するがコンバインが田んぼに埋まってしまう。コンバインが田んぼに埋まったのは見たことはないが昨今の大雨のような状態での稲刈りの時、家族何人かでコンバインを押している風景を見たことがあった。こうなると稲刈りどころではなくなる。まるで沼に浸かっているようだった。今年も田植え前に田んぼの高低を調整したと思ったが水が溜まっている場所が2ケ所あった。隅の方だったからよかったけどこれが田んぼの真ん中だったら大変だったと思う。

田植え後水を常に田んぼに張る(入れる)ようにしておく。こうしないと水がなくなって土が乾けば乾いた土の上に雑草の種子が落ちてきて雑草の林になってしまう。そうやっているまに7月が来ると上旬には稲の穂がでて開花し始める。このころからだいたい天候にもよるが1ケ月で稲刈りが始まる。毎年気温が上がっているこの頃、今年のように特に暑く感じると体がばててしまう。田んぼの端に植わっている稲をコンバインがスム-ズに刈り取っていけるようン端を刈っていく。この作業が大変。かがみ姿勢なので暑い中これをするのは大変。子供のころは今のような機械もなくすべてノギリ鎌をもって手で刈っていた。今から思えばあの広い田んぼの面積をすべて手で刈っていたので本当に大変だったと思う。確かに米価もよかったかもしれないがそれにしても大変な労力だったと思う。今は当時の10分の1にも満たない面積で家の飯米だけなのでずいぶん楽になったと思う。

稲刈りが終わればライスセンタ-に籾をもっていって乾燥し籾を擦って玄米にしたものをもらってくるだけ。子供のころ、いや最近まで籾を家に持って帰り自宅で乾燥し籾を擦って玄米にしたものを農協に出荷していた。稲刈りから乾燥,もみすりと作業が全部終了するまでにだいたい2週間ぐらいかかった。自分の町内で27軒の農家があったが今残っているのは4軒だけである。子供心にもこれは「しんどい」と思った。

一応の作業が済むと機械の掃除と調整である。今は田植え機とコンバインしかないので楽になったが以前はこの上に乾燥機と籾摺り機があった。これも子供のころから自分の仕事だったのでだいたいのことは今でもわかる。暑い中、風のほとんどないほこりまみれの納屋の中の作業は大変だった。

でも自分の父親の世代やそれ以前の世代の人はもっと大変だったろうと思う。

 

今朝のピ-マン

このところピ-マンがよくできる。3日に1回は朝の取り入れ。ピーマンはほとんど手間がいらない。肥料もわずかでいいし、レタスなどの葉物野菜、甘いトウモロコシと違って虫がほとんどつかないので殺虫剤もやる手間がない。確かにあの苦さでは虫は来ないと思う。苦い野菜はビタミンCが多いよう。例えばブロッコリ-なんかもそう。そのままにて食べてもうまいこともなんともない。できれば生で食べたほうが良いようだがさすがにこれを食べてもうまくもなんともない。できるだけ熱を加えないで調理した方がよい。熱を加えるとビタミンCが壊れるようだ。今はこのピ-マンを小さな袋に入れて100g程度にして近くの産直市場に出している。ここは以前ホ-ムセンタ-だったのだけれどこれを改装して産直市場にしている。これはよく考えたと思った。経営者の才覚だろう。ほとんど仕入れの手間がない。生産者が持ち込んで各自でパソコンを操作して値札のラベルをプリントアウトして持ち込んだ野菜の品物に貼り付けて適当な場所に陳列していく。売れれればメールで連絡してくれる。こういう産直市もちろん野菜だけでなく塩干物や魚介類などもセットにしている。その他、花卉や日用雑貨と様々。値段も様々なので消費者は適当に安いものを物色して購入している。実際に自分も店に入って見回してみると同じような商品でも値段が倍以上違うものもある。主婦の人はこれが楽しみの一つでもあるのだろう。女性はス-パ-の値札にはものすごく敏感なような気がする。逆に数万円もするようなブランド品にはそこまで気を使わないらしい。

最近は中年以上の男性でも買い物かごを下げて買い物をしている人を見かけることが多くなったように思う。自分が子供の時にはあまり見かけなかった光景である。時代が変わっていっているのだろう。

犬の散歩

毎日犬の散歩。犬は大体の言葉がわかるらしい。この犬もこの家に来てから12年もなる。以前は小さいこともあってほとんど毛を刈ることもせずトリミングに連れていくこともなかったがこの犬の種類は長毛種ということなのでやたら毛が伸びてくる。伸びるだけならいいのだけれどのびる毛が抜け落ちて床に落ちる。また開き戸でないドアの下に入り込んでドアの滑車に巻き込まれてしまうとドアがきしんで動かなくなることがあった。そして掃除機で掃除するときに部屋の中に舞い上がって食事のものにかかったり洗濯ものにまとわりついていくので最近はトリミングに連れて行っている。

散歩に行くのは1日2回と犬は自分で決めているらしい。要求を拒むとこれが大変なことになる。以前、自分も家内も疲れていたので散歩は一回にした日があった。するとその日はクルクル回って散歩に連れていけと言っているようだった。放置したら玄関の床の上に尿の水たまりを作った。さらに布団にこれも尿の水たまりを作った。最初これが何なのかわからなくてもう12歳もなるのでいわゆる人間でいう老人ボケかなと思い慌ててかかりつけの動物病院へ連れて行った。すると獣医さんいわく「何か変わったことがなかったか?」いや別にないというと「近くで工事をして音がうるさいとか、親戚の人がきているとか?」そんなことはないというと「散歩の回数が減ったとかは」ははあと思い「毎日2回連れて行っていたが昨日は1回だった」というと「犬は自分で言うことができないのでこういうことで自分をアピ-ルしている。散本の距離が長かったから1回でいいだろうと思っていても犬は自分で2回行くと決めている」ということであった。ああそういうことなのかと思った。さすがにこれは分からなかった。犬はカウントすることができるんだと思った。そうすると距離は短くてもいいのかもしれないがあんまり短くてもよくないのかもしれない。また自分で散歩のコ-スを覚えているようで道順は決めている。散歩のル-ティ-ンは決まっているらしい。獣医さん曰く「若い母親で子供ができ子供にかかりきりになり自分の世話をしてくれないとか親戚の子供が来て自分を放置しているとなればそういうことをする」これは人間と同じなんだと思った。

PCの改造の続きとWin10へ

CPUグリスを塗ってヒ-トシンクを取り付け裏カバ-を取り付けたがファンの結線を忘れていた。慌ててまた裏カバ-を外してファンのリ-ド線を取り付ける。そのまま忘れてしまうと熱でCPUが焼けてしまうところだった。このファンのリ-ド線はどのノ-トPCもそうだが細くて強く引っ張ると多分線が切れてしまうので要注意である。細いマイナスのドライバ-で丁寧に押し込むことが肝要だ。このころのノートPCは今のと比べてまだ厚い感じがするが取り出しやすいと思う。今のPCは薄さを強調しているためにのっぺりしている。しかし見る限り構造が簡単。これでハ-ド面は終わり。できればCPUを交換したかったがまだCore-i7は高いので今回はハ-ド面はここまで。裏カバ-を取り外しで驚いたのはネジが外れてしまうことを避けるために外したネジがカバ-から落ちないように裏に小さなスプリングがついて脱落しなくなっている。これは小さな工夫だがよく考えられている。PCのネジは市販のネジと違いホ-ムセンタ-なんかで売っているネジではなくほとんどの専用のネジが多い。なくすと代替のネジがないからだ。あとPCのハードの作業をするときは必ず背面のバッテリ-は外しておく。古いからいいと思っていたら作業時ショ-トする可能性があるのでショ-トしたら一瞬でスクラップになる。

 

Win10へのアップグレ-ド

このペ-ジからwin10のファイルをDLしてWin10へアップグレ-ドしていく。2020年の今年の初めにWin10の無償アップグレ-ドは終わっているが過去に一度でもアップグレ-ドした場合はアップグレ-ドできるらしいので早速やってみることにした。Windows 10のダウンロード版の価格は、Amazonで17,600円もするらしい。このノ-トはWin8.1だったのでJavaなんかの自動更新がしずらい状況になっていた。何かバグあったのかもしれない。Win10ができたときにどのPCとも勝手にWin10に更新されていたのには驚いた。当時はまだアプリケ-ションがWin10についていっていなかったので動かないアプリが多く自分もWin8.1に戻した。Win10の更新にはずいぶん時間がかかる。それでもプロダクトキ-を入れることも聞かれることもなく再起動を繰り返しながら自動で更新をしていくのにはちょっと驚いた。従来はバ-ジョンアップには更新の際はいくらかの費用が掛かったはずだが最近はMacやグ-グルのクロムOSなどマイクロソフトも独占のような状況じゃないのだろう。立ち上げてみたらSSDの換装したのとWin10の起動でベンチマークでは測定してはいないが目視だけでも起動時間は従来の3倍ぐらいは早くなっているようだ。

PCの改造SSDとCPUグリス

PCの改造ををしている。以前からやろうと思っていたのだがどうも時間がないのとやる気がないのとでそのままになっていた。HDDは最近のSSDに交換した。データはEaseUS Todo Backupを使った。時間はかかるが結構正確にエラ-なくバックアップができるようだ。参考動画はyoutubeにたくさんあるので参考になった。従来のHDDはノートの場合は2.5インチで静音設計になっているのでさほど気にならないけれどSSDはUSBメモリの大型のような感じがする。値段的には6千円前後で安くなったようだが以前の値段を知らないので何とも言えない。まずは裏面のバッテリ-を取り外していく。これを忘れると内部をいじるときにショ-トする可能性があるようなので注意が必要だ。今、改造しているのはThinkPadのL540という旧型の機種でメモリは当時4Gで購入した時には結構早く動いたがソフトをたくさん入れたりするとそれはそれで動きが鈍くなる。それで16Gに増設した。PCショップなんかに行くと結構な古い機種が3万から10万円程度まで並んでいる。よく手入れされたものなら別だが画面やキ-ボ-ドなんかを見ると長くはもたない感じがするのも当たり前。自分が初めてノートPCを買ったのはもう30年以上前の東京出張の折、秋葉原のPCショップでThinkPadのノ-トだった。今のように薄くはなく分厚くPCは重くHDDは100Gもなかったのではないかと思う。値段も30万円程度で当時のThinkPadは構造は簡単で取り扱いは簡単だった。メモリは2G程度だったがWin3.1だったこともありそれほど再インスト-ルには手間はかからなかった。ジャンク品を集めて自分で組み立てたPCを何台も作ったがジャンク品の寄せ集めのため半年も持たなかった。たいていマザ-ボ-ドの不良だった。おまけに当時はオ-ルインワンではなかったので再インスト-ルすると必ずドライバ-をすべて最初からまた組み込まなければならず大変だったことを覚えている。それはそれで結構楽しかったが今の機械は自動的にネットから最新のドライバ-が投入できるので便利だと思う。

さて、PCの裏カバ-を外しヒートシンクを外して行くとPCグリスはもうカピカピに乾いている。CPUのファンにはほこりは溜まっていないようだ。これはこれでいいようなのでグリスを塗っておく。SSDは交換したのでまだ動作は確認していないがまあいいだろうということにしておいた。あとは動作確認と今はWin8.1からWin10にバ-ジョンアップである。

ピ-マンの収穫

一畝だけのピ-マンを収穫する。朝早くといっても朝7時頃からはさみとバケツを持って15分程度つみ取っていく。15分程度で小さいバケツ一杯になっていく。これをこれも小さいバケツに詰めて産地直送の市場にもっていく。1袋4~5個程度入ったものが50円の値札を張って陳列台に並べていく。ここはもう昔ながらの市場ではなく生産者が直接持ち込みできるような仕組みになっている。こうしたところは結構多くなってきているようだ。初めてこのシステムを見たのは少し大きなス-パ-の一角にそのようなコ-ナ-がありそこでは生産者の顔写真付きの野菜が並べてあった。その時こんなシステムもあるのかと思った。近くに以前ホ-ムセンタ-があってそこは最近ホ-センタ-が改装されて産直市場になっていた。私の家では広くはないが少々の畑があり蜜柑や野菜を自家用に生産していた。従来は近くにこれも市場がありそこに近いこともあって取れた野菜を出荷といってわずかなもだったが出していた。子供のころとか若いときは仕事から帰ってきたら市場に取れた野菜を軽トラに積んで持っていくのが自分オ仕事だった。子供のころから夏は稲刈り冬はシイタケの原木切り、春は冬に切った原木にシイタケの植菌作業という繰り返しだった。学校を卒業して就職してもこの作業は休みには続いた。小学生の子供が自転車の後ろの荷台にダンボ-ルに野菜を入れたのを積んで10キロ程度離れた市場にもっていってそれをならべて係の人から伝票をもらってくるのが私の仕事だった。でもそんな市場も時代の流れで小さな市場は統合されて近くに少し大きな市場になりそれもなくなってしまった。こんな田舎でも流通の形が変わったのだと思う。市場のシステムは生産者の出荷、仲買の競り、小売りとなるのだろう。ここで生産者の原価の倍以上で品物が店頭に並ぶ。消費者は高い野菜を買わなければならない。数年前に自分が市場に出した蜜柑が1玉5円だった。同じような蜜柑が1玉90円で売られていたのに驚いた。今のように生産者が価格を独自につけ消費者が自分で選んで買うシステムがあれば確かにいいと思う。最近はコロナや大雨の被害で野菜がずいぶん高くなっているようだ。頭のいい人はこんな時にお金もうけができるのかなと思ってしまう。

酷暑の中で田んぼをひく

気温34度の中で田んぼをひくことにしている。このトラクタ-は中古で購入した。しかし水温が上がりすぎてオ-バ-ヒ-ト寸前だったりした。水蒸気の排気が吹いたり運転しているとやたらにキ-が暑くなる。昨年はそのため田んぼが引けなかった。草刈り機でおおよそは刈ったがしょせん表面の伸びているところからしか刈れない。草が伸びてくると耕すことはできず伸びている草を押し倒していくだけなのでただ踏んでいくだけのようになる。おまけに草がロ-タリ-の主軸に巻き付いてしまうので深く引くことはできない。所詮中古の古い機械なので仕方がないとは思うけれど。あの車の中古車を買う感覚に似ているかもしれない。1週間前に草だけ刈ってこれからちょっとだけでも引こうかと思ったら雨が降ってきてこの時は引けなかった。この時、トラクタ-のエンジンをかけてロ-タリ-を上げようとしたら上がらない。この機械はマイコン制御になっているがマニアルを見てもわからない。近くの修理工場に事情を話して修理を依頼。2日後、コントロ-ルボックスの不良。古いので部品がないという。どうしようもなかった。手動のオンオフスイッチでロ-タリ-を上下さすというのだがこれが全くもって使いにくい。しばらく使っているとなぜか電気的な動作が働いたのかロ-タリ-の上下ができるようになった。よくわからないがおそらくは電気的な基盤の配線の錆が原因だろうと思う。雨ざらしの中で放置しておくと配線の銅部分が錆で電気が通らなくなる。これだろうと思う。しかし奇跡的に動くようになった。誰かが助けてくれたような気がした。高い気温の中、作業していると体が焼けこんでしまうように暑い。特に長靴が焼けて足が痛くなる。でも上代の人の農作業はこのようなことをはるかに凌ぐ過酷なものだったと思う。たとえ牛馬を使ったものであったてもと思うと今の時代は恵まれているのだろうと思う。

 

スイカがやられた

犯人はハクビシンかカラスか何か知らないがスイカがやられてしまった。次からはここの畑はあきらめて違うところの畑に植え付けしようと思う。去年もちょうどこんな具合にやられてしまった。袋とかコンテナをかぶせてもいいがちょっと面倒。さすがに2年続くと嫌になってしまう。

稲の花がちらほら

稲の花が咲きはじめる。まだところどころであるがこれが出そろってから一か月ぐらいたつともう稲刈りが始まる。早いものだと思う。ほかの多くの田んぼではもう出そろってきているところもあるので今年は稲刈りが早いかもしれない。

雨で倒れてしまった

今朝がたの雨で無残に倒れてしまった。このところ成長が早いのでクリップの位置がした過ぎたのだろう。水田の方はこの雨で水を入れなくてもよくなったが。雨と風の合間を見て補強する。オクラは細かいとげに皮膚が触れるととてもかゆくなる。