猛烈な暑さ

ここ2、3日は猛烈な暑さが続いている。この地方では日中は38度から39度以上の暑さが続いている。自分の経験したことがないような暑さでである。外に出て太陽の光を受けると体が痛い。午前中は何とか扇風機で過ごせるような感じがしていたがここ2,3日はさすがにク-ラ-をつけないと凌げない暑さになっている。道路のアスファルトやコンクリ-トの焼けるようなにおいを感じる。こんな田舎でそうなのだから都会の土のないところでは大変な暑さだろうと思う。直近の日本の地域の天気予報でもその温度は軒並み38度を超えているところがほとんどになっている。ところが香港や台湾では気温は31度程度であるらしい。これはどういうことなのなのだろう。何かが変わっているいるのだろうか。日本の気温は毎年のように上昇しているような気がする。日本の気温が地域によるが40度を超えたのを初めて見たように思う。

すだちを収穫

最近の暑さはどうだろうか?こんな田舎でもものすごく暑く感じる。1時間も外で作業すると体が焼けるように熱くなる。この地方では今が稲刈りの最盛期になっている。暑さの内容が自分の子供のころとはずいぶん違うようだ。こんな中で外で仕事をする人は本当に大変だろうと思う。暑い日の外で仕事をした後はビ-ルを飲んでいたがどうも自分には酒は合わないらしい。かえって翌朝には体調がよくない。昨日もあまりにも畑の進入路に草が生えていたんで草刈りをしたらたった1時間程度の草刈りで暑さでバテてしまった。体調が悪いのか暑さのせいなのかわからない。マスクをしたら数分でマスクが自分の息で水にぬらしたようになってしまう。太陽の光を背に草刈りをやっていると背中が焼けるように暑い。年々暑さが違うように暑くなっていくように感じる。畑の草刈りのあと田んぼの畔をこれもまた草刈りたったこれだけで汗びっしょりになってしまった。

この地域ではこれからが稲刈りのシ-ズンになっている。ほとんどの人が離農して一部の人が水田を作っているような状況。時代は変わっているのだと思う。今日は8月15日の終戦記念日。といっても戦後生まれの自分には戦争が何であったか知らない。300万人の命が失われた戦争がどういうものであったか具体的に知らない時代に生まれた。今日の朝刊お世話になった方の記事が掲載されていた。この方ももう96歳になられれる。ご苦労されたことだったと思う。人の寿命や人生はある程度の方向や過程は決まっているのだろうかと思ってしまう。記事を読んでいて自分は平和な時代に生まれたのだとつくづく思ってしまった。

 

稲刈り

今年もまた暑い稲刈りがやってきた。この地方では4月の上旬に田植えをする。その前に3月の中頃から準備。まず田んぼをトラクタ-で耕していく。これはもっとも昨年のコメを収穫した後、何回か冬の厳寒期を除いて耕している。田植え前にもう一度丁寧に耕して、水を入れて田んぼを調整する。こうしないと田んぼの高低差の調整をしないと稲を刈り取るときに水が溜まって水がはけないからである。水がはけないとコンバインが田んぼににじりこんでコンバインのキャタピラが回転するがコンバインが田んぼに埋まってしまう。コンバインが田んぼに埋まったのは見たことはないが昨今の大雨のような状態での稲刈りの時、家族何人かでコンバインを押している風景を見たことがあった。こうなると稲刈りどころではなくなる。まるで沼に浸かっているようだった。今年も田植え前に田んぼの高低を調整したと思ったが水が溜まっている場所が2ケ所あった。隅の方だったからよかったけどこれが田んぼの真ん中だったら大変だったと思う。

田植え後水を常に田んぼに張る(入れる)ようにしておく。こうしないと水がなくなって土が乾けば乾いた土の上に雑草の種子が落ちてきて雑草の林になってしまう。そうやっているまに7月が来ると上旬には稲の穂がでて開花し始める。このころからだいたい天候にもよるが1ケ月で稲刈りが始まる。毎年気温が上がっているこの頃、今年のように特に暑く感じると体がばててしまう。田んぼの端に植わっている稲をコンバインがスム-ズに刈り取っていけるようン端を刈っていく。この作業が大変。かがみ姿勢なので暑い中これをするのは大変。子供のころは今のような機械もなくすべてノギリ鎌をもって手で刈っていた。今から思えばあの広い田んぼの面積をすべて手で刈っていたので本当に大変だったと思う。確かに米価もよかったかもしれないがそれにしても大変な労力だったと思う。今は当時の10分の1にも満たない面積で家の飯米だけなのでずいぶん楽になったと思う。

稲刈りが終わればライスセンタ-に籾をもっていって乾燥し籾を擦って玄米にしたものをもらってくるだけ。子供のころ、いや最近まで籾を家に持って帰り自宅で乾燥し籾を擦って玄米にしたものを農協に出荷していた。稲刈りから乾燥,もみすりと作業が全部終了するまでにだいたい2週間ぐらいかかった。自分の町内で27軒の農家があったが今残っているのは4軒だけである。子供心にもこれは「しんどい」と思った。

一応の作業が済むと機械の掃除と調整である。今は田植え機とコンバインしかないので楽になったが以前はこの上に乾燥機と籾摺り機があった。これも子供のころから自分の仕事だったのでだいたいのことは今でもわかる。暑い中、風のほとんどないほこりまみれの納屋の中の作業は大変だった。

でも自分の父親の世代やそれ以前の世代の人はもっと大変だったろうと思う。

 

今朝のピ-マン

このところピ-マンがよくできる。3日に1回は朝の取り入れ。ピーマンはほとんど手間がいらない。肥料もわずかでいいし、レタスなどの葉物野菜、甘いトウモロコシと違って虫がほとんどつかないので殺虫剤もやる手間がない。確かにあの苦さでは虫は来ないと思う。苦い野菜はビタミンCが多いよう。例えばブロッコリ-なんかもそう。そのままにて食べてもうまいこともなんともない。できれば生で食べたほうが良いようだがさすがにこれを食べてもうまくもなんともない。できるだけ熱を加えないで調理した方がよい。熱を加えるとビタミンCが壊れるようだ。今はこのピ-マンを小さな袋に入れて100g程度にして近くの産直市場に出している。ここは以前ホ-ムセンタ-だったのだけれどこれを改装して産直市場にしている。これはよく考えたと思った。経営者の才覚だろう。ほとんど仕入れの手間がない。生産者が持ち込んで各自でパソコンを操作して値札のラベルをプリントアウトして持ち込んだ野菜の品物に貼り付けて適当な場所に陳列していく。売れれればメールで連絡してくれる。こういう産直市もちろん野菜だけでなく塩干物や魚介類などもセットにしている。その他、花卉や日用雑貨と様々。値段も様々なので消費者は適当に安いものを物色して購入している。実際に自分も店に入って見回してみると同じような商品でも値段が倍以上違うものもある。主婦の人はこれが楽しみの一つでもあるのだろう。女性はス-パ-の値札にはものすごく敏感なような気がする。逆に数万円もするようなブランド品にはそこまで気を使わないらしい。

最近は中年以上の男性でも買い物かごを下げて買い物をしている人を見かけることが多くなったように思う。自分が子供の時にはあまり見かけなかった光景である。時代が変わっていっているのだろう。

ピ-マンの収穫

一畝だけのピ-マンを収穫する。朝早くといっても朝7時頃からはさみとバケツを持って15分程度つみ取っていく。15分程度で小さいバケツ一杯になっていく。これをこれも小さいバケツに詰めて産地直送の市場にもっていく。1袋4~5個程度入ったものが50円の値札を張って陳列台に並べていく。ここはもう昔ながらの市場ではなく生産者が直接持ち込みできるような仕組みになっている。こうしたところは結構多くなってきているようだ。初めてこのシステムを見たのは少し大きなス-パ-の一角にそのようなコ-ナ-がありそこでは生産者の顔写真付きの野菜が並べてあった。その時こんなシステムもあるのかと思った。近くに以前ホ-ムセンタ-があってそこは最近ホ-センタ-が改装されて産直市場になっていた。私の家では広くはないが少々の畑があり蜜柑や野菜を自家用に生産していた。従来は近くにこれも市場がありそこに近いこともあって取れた野菜を出荷といってわずかなもだったが出していた。子供のころとか若いときは仕事から帰ってきたら市場に取れた野菜を軽トラに積んで持っていくのが自分オ仕事だった。子供のころから夏は稲刈り冬はシイタケの原木切り、春は冬に切った原木にシイタケの植菌作業という繰り返しだった。学校を卒業して就職してもこの作業は休みには続いた。小学生の子供が自転車の後ろの荷台にダンボ-ルに野菜を入れたのを積んで10キロ程度離れた市場にもっていってそれをならべて係の人から伝票をもらってくるのが私の仕事だった。でもそんな市場も時代の流れで小さな市場は統合されて近くに少し大きな市場になりそれもなくなってしまった。こんな田舎でも流通の形が変わったのだと思う。市場のシステムは生産者の出荷、仲買の競り、小売りとなるのだろう。ここで生産者の原価の倍以上で品物が店頭に並ぶ。消費者は高い野菜を買わなければならない。数年前に自分が市場に出した蜜柑が1玉5円だった。同じような蜜柑が1玉90円で売られていたのに驚いた。今のように生産者が価格を独自につけ消費者が自分で選んで買うシステムがあれば確かにいいと思う。最近はコロナや大雨の被害で野菜がずいぶん高くなっているようだ。頭のいい人はこんな時にお金もうけができるのかなと思ってしまう。

酷暑の中で田んぼをひく

気温34度の中で田んぼをひくことにしている。このトラクタ-は中古で購入した。しかし水温が上がりすぎてオ-バ-ヒ-ト寸前だったりした。水蒸気の排気が吹いたり運転しているとやたらにキ-が暑くなる。昨年はそのため田んぼが引けなかった。草刈り機でおおよそは刈ったがしょせん表面の伸びているところからしか刈れない。草が伸びてくると耕すことはできず伸びている草を押し倒していくだけなのでただ踏んでいくだけのようになる。おまけに草がロ-タリ-の主軸に巻き付いてしまうので深く引くことはできない。所詮中古の古い機械なので仕方がないとは思うけれど。あの車の中古車を買う感覚に似ているかもしれない。1週間前に草だけ刈ってこれからちょっとだけでも引こうかと思ったら雨が降ってきてこの時は引けなかった。この時、トラクタ-のエンジンをかけてロ-タリ-を上げようとしたら上がらない。この機械はマイコン制御になっているがマニアルを見てもわからない。近くの修理工場に事情を話して修理を依頼。2日後、コントロ-ルボックスの不良。古いので部品がないという。どうしようもなかった。手動のオンオフスイッチでロ-タリ-を上下さすというのだがこれが全くもって使いにくい。しばらく使っているとなぜか電気的な動作が働いたのかロ-タリ-の上下ができるようになった。よくわからないがおそらくは電気的な基盤の配線の錆が原因だろうと思う。雨ざらしの中で放置しておくと配線の銅部分が錆で電気が通らなくなる。これだろうと思う。しかし奇跡的に動くようになった。誰かが助けてくれたような気がした。高い気温の中、作業していると体が焼けこんでしまうように暑い。特に長靴が焼けて足が痛くなる。でも上代の人の農作業はこのようなことをはるかに凌ぐ過酷なものだったと思う。たとえ牛馬を使ったものであったてもと思うと今の時代は恵まれているのだろうと思う。

 

スイカがやられた

犯人はハクビシンかカラスか何か知らないがスイカがやられてしまった。次からはここの畑はあきらめて違うところの畑に植え付けしようと思う。去年もちょうどこんな具合にやられてしまった。袋とかコンテナをかぶせてもいいがちょっと面倒。さすがに2年続くと嫌になってしまう。

稲の花がちらほら

稲の花が咲きはじめる。まだところどころであるがこれが出そろってから一か月ぐらいたつともう稲刈りが始まる。早いものだと思う。ほかの多くの田んぼではもう出そろってきているところもあるので今年は稲刈りが早いかもしれない。

雨で倒れてしまった

今朝がたの雨で無残に倒れてしまった。このところ成長が早いのでクリップの位置がした過ぎたのだろう。水田の方はこの雨で水を入れなくてもよくなったが。雨と風の合間を見て補強する。オクラは細かいとげに皮膚が触れるととてもかゆくなる。

ハクビシンにやられたか

トウモロコシがやられてしまった。去年はこういうことはなかったが。最近は畑に小動物が出没するようだ。昼間は見かけないが夜になるとどこからかやってくるようだ。畑で見たことはないけれどトウモロコシを見た感じ鳥ではなさそうなのでハクビシンのような動物だろうと思う。