京大の理系の過去問を解いてみた。一読しても何を訊いているのかよくわからない。問題が複雑で答えだけを聞いていないと思われる問題がほとんど。小学校、中学校、高校と算数、数学は数値計算が数学だと思っていた。ところが京都大学の過去問をやってみると確かに答えを出すことに変わりはないがその過程が大事らしい。これでは50年前と同じ結果になってしまう。あの時は手も足も出なかった。「赤チャ-ト」や「大学への数学」といった参考書は当時もあったものの特定の大学に合わせたような参考書というのはなかった。今はそれがたくさんある。が、たくさんありすぎて逆によくわからなくもなる感じがする。問題は過去問が7割程度できればいいのだということ。それにはどうすればいいか。これだけなのだと思う。困難なことに出会ったときどうするか。まず自分だったらどうするか。人に聞く。ネットを調べる。答えを出すために過程を調査する。本来これが大事なのだが高校までは特に過程よりも答えが出ないと不可だということになっていたような気がする。4、5日かけて京大の数学理系の過去問だけをやってみた。理解するだけでもやっと。基礎力というよりは論証、というような大げさなものではないかもしれないが解答の過程が重要だと聞いているように思った。露骨に「あんたならどうする?」と言っているような気がする。この本の著者も京大を受けたとき最初は面食らったに違いないと思う。この本では解答を書くにあたって「理解」「計画」「実行」「検討」という4段階の順序でやっていくとしている。
「理解」・・・問題のどこに着目するのか。 (私の考え)何を訊いているのか。
「計画」・・・解答する前の段階の計算用紙 (私の考え)答案用紙に書いていく順番は。
「実行」・・・実際に書いていく
従来は見たら即、書いていくタイプのことしかやっていなかったのではないかと思う。数学はそんなもんだと思っていた。結果の答えに重点を置いているのではなく、その答えに至る過程に重点が置かれているのだと思った。そういう意味で問題をもう一度見直してみると4~5年分の過去問でも問題文の最後の「~を求めよ」となっている場合、2~3行の解答で答の数値が単純に計算されるような問題はまず見つからない。「~であることを示せ。~となることを示せ。」となっている場合、まさに答えは出ているからその過程を説明してくれと言っている。もっともそうしないと1問30から35点の採点での部分点をつけようがない。これを書いていれば5点、これを書いていれば3点ということだろ一う。こうなるともう日本語の力になる。採点する人を説得させる文章が大事だと思った。昔、一橋大学のM先生の講義を聞いたとき「私は税理士、公認会計士試験の採点をしたとき説得力ある答案にはそれなりの点数はつけた」といっていた。どの程度の点数なのか言わなかったけど低い点数ではなかったのではないかと思った。説得力のある文章といっても、これは特別な力でなく素直な表現でいいのだと思う。ほんのわずかなの高校生を除いては数学の論文など書けるわけがない。その辺は採点者だって知っている。大学で習うはずの解析で特殊な記号を使ったりするとき、よくわかって使えばいいが、間違って使ったり宣言しなかったりすれば明らかに大幅な減点になる。